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■一枚の絵から ■肌色と3つの色 ■秋 ■なごり雪 ■小津映画 ■田中一村 ■水彩画 ■これから ■桜
■個性 ■ビギナーの眼 ■感性 ■環境と経験 ■空の青 ■意志 ■見る ■右脳 ■子供の絵 ■デッサン力
■アート ■絵のスタイル ■闇と光 ■生命と表現の原点 ■エネルギー ■現代アート ■個と全体 ■絵との出会い
■緊張感 ■マチエール ■最近のアート ■秋に想うこと


★アトリエからのメッセージ(2)★




04/01/31
[6]田中一村
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田中一村の命を削って描いた絵の前に立つと、一村の気が伝わってくるように思えます。1本の線にも大胆さと繊細さを兼ね備え、自然の豊かさを見事に描き出していました。その線を出すのにどれだけ自然を観察し、スケッチを描いてきたのでしょう。

自然のものを描く時、そのもののサイクルを見続けていかないと出てこない線があります。長い間見つめているからこそデフォルメの線も描けるのです。それがすでに一村は20代の頃からできていた気がします。自然の生命の息吹はものの先端、細部に宿ります。今成長しようとしているところが命の線です。蝶の触覚や葉脈の先、わかりずらいところ、見えないところが大事なのです。大胆に、また繊細に画家はマクロの眼とミクロの眼を兼ね備えてゆかなければなりません。それは長い歳月生物を愛し、観察することからはじまります。

一村のアトリエは小鳥たちのカゴで占領され、一村の眠る場所さえままならないようだったといいます。小鳥たちが弱ると一村はふところに抱いて生命をとりとめようとしたといいます。自然の中で観察しながら描く場合も多かったようですが、鳥たちをアトリエで飼い心を通わせながら観察し描いていたようです。

一村は5年間紬工場で働いて生活費と絵具代を稼ぎ、3年間絵を描き、また2年間展覧会の費用を稼ぐために働くという10年の計画を立てたそうです。50歳から自分の絵を見つけ、描けるのは60歳までと見越し、自分の環境の中でどうしたら集中して描けるかを考えた時、この10年の計画を思い立ったのでしょう。このぎりぎりの逆境の中でこそ一村の絵が生まれたかもしれません。 一村は5年間ただ働いていたのではなく、私が思うには毎日のように自然の観察や線の見きわめをし、この5年もの間は眼で描いていたのだと思います。鋭い眼をして白い画布を見つめる一村の姿が私には見えてきます。そして来るべき時に備え万全の体制を整えていたのでしょう。

私のコラムを読んだ方は一村の画集を見るかもしれませんが、印刷物からは原画の100分の1も伝わってきません。一村の薄墨で描かれた絵の荘厳さは、原画を前にしないと味わえないのです。50歳から精力的に自分の絵を求めて奄美に渡り描きぬいた一村に、私はこれからの制作に勇気と励ましをもらいました。





03/12/23
[5]小津映画
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最近、小津安二郎監督の映画が生誕百年を記念してNHK BSなどで放映されています。小津安二郎は私の好きな監督でほとんどの作品を見ていますが、この機会にまたじっくりと見直してみようと思っています。小津監督の映画は見た時の自分の心境や年代などによっても感じ方が変わってくるようで、2回3回と見るとその作品の持つ奥深さなどが見えてくるように思えます。まるでスルメイカのようによく噛み締めないと味わえない作品です。私はどの作品も甲乙つけがたいほど好きですが、作品のほとんどが淡々と流れてゆくもので、その静かな静的なイメージの中に、揺れ動く心の葛藤を描いています。私はこの淡々としたところが好きなのです。その中で映し出される風景や家の中、バーや喫茶店、その回りの湯のみ茶碗などの小物に至るまで神経が行き届いていて、カットカットの場面がすべて絵になります。そこから生み出される空気感は懐かしい昭和のロマンチズムを感じさせてくれます。

私は絵画においてもアングルやフェルメールなどの装飾的な静のイメージの作品が好きで、私が描くのもほとんどが装飾的なものですが、動のイメージが嫌いかというとそうでもなく、絵画にしても映画にしてもすばらしい作品は静や動などの外見的なスタイルを超えたところにあると思います。小津監督は人生や死など重たいテーマをよく取り上げていますが、それでも見終った後は何とも言えない優しさを感じさせてくれます。それはこれらの作品から死であれ別れであれ、淡々とした流れの中にそれを受け入れ、乗り越えていこうとする人間の強い意志、中道の精神のようなものを小津監督のメッセージとして感じとられるからではないでしょうか。





03/11/08
[4]なごり雪

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高校時代、私のいちばん安らげる場所は美術室でした。いつも授業が終るのが待ち遠しくて、授業が終る頃になると生き生きとしてくるのです。そして5時の下校のチャイムが鳴るまで黙々と石膏デッサンばかりしていたような気がします。油絵は家で描いていたので、学校ではほとんど絵の具は使いませんでした。それから下級生の絵をよく指導していて、その頃から人に絵を教えるのが好きだったようです。スケッチブックは私のトレードマークで、鞄を忘れてもスケッチブックは忘れないと言われるほど肌身離さず持っていました。また絵を描く時に使う練りゴムを消しゴムがわりにしたり、ヒマな時は練りゴムはよく弾むので教室の壁に当てては遊んでいました。

私は美術室の独特の臭いが好きでした。クラブ活動のない夏休みなどでも職員室で教室の鍵を借り、ひとり誰もいない美術室で絵を描いていたものです。そしてお腹がすいてくると、近くの駄菓子屋でアンパンと牛乳を買ってきて食べながら絵を描いていました。いつもは誰かがいるのに、誰もいない美術室はまた違った顔を見せてくれます。少し淋しいようなそんな空間の中にいるのが私には心地良かったのです。

この間“なごり雪”という大林宣彦監督の映画を見ました。“なごり雪”は私の高校時代の想い出の唄でもあり、昔の自分との共通点を探しながら見ていました。大林監督の映画は最後がハッピーエンドであろうがなかろうが、心を震わす暖かいものがあります。この映画もまた私に同じものを与えてくれました。大林映画に出てくるヒロインのしゃべり方は共通する独特の言い回しがあり、私はそれが好きです。そのしゃべり方にはなぜか懐かしい純粋なものを感じるのです。

プロローグとエピローグで絞り出すようにして歌われる正やんの“なごり雪”は、昔の正やんの唄ほどはうまいとは言えませんが、時の流れを感じさせ、じんとくるものがありました。かぐや姫時代の“なごり雪”を使わず、今の正やんが歌うことでこの映画のテーマが生きてきたように思えます。

人は誰も年をとってゆきます。そしていつかは大切な人との別れもきます。そんな現実の中にあって大林宣彦の映画は、ほんの少しの優しさと励ましをくれるのです。

 

 

玉神輝美のサイン