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■アート ■絵のスタイル ■闇と光 ■生命と表現の原点 ■エネルギー ■現代アート ■個と全体 ■絵との出会い
■緊張感 ■マチエール ■最近のアート ■秋に想うこと


★アトリエからのメッセージ(4)★




04/06/18
[12]感性
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絵を描く者にとって過去の偉大な画家たちはすべてライバルです。私が絵を描くにあたって初めにぶちあたった壁が父親の存在でした。20歳の頃、まずは父親と同じように人物画を描けるようになったら次の段階に進もうと考え、懸命に人物を描き研究をしていました。しかし何年か経ち、父親と同じように描くことは私もそれに一生費やさなくてはいけないということが解りました。 そしてその人を超えるとか超えないとかいうことが、私には意味のないことだということに気付いたのです。

そうしたら自分は何かと考えた時、私は今の時代に生まれ今の空気を吸っています。そこで生まれてくる自分の感性を出すことが自分にとっていちばん大事なことだということに気付き、その時肩の荷がとれ気持ちが楽になりました。 そこから自分の考えやスタイルができるまで10年近くかかりましたが、この苦しみの数年間を考えると何の苦でもありません。それはさまざまなものを感じ、吸収して思うがままに描いてゆけばいつかは見えてくるものだと解っていたからです。

私はひとつのスタイルに固執することは、ひとつの時代に固執するようで私のスタイルではないと思っています。時はいつも流れるように流れ、その中に自分もいて、その時その時を感じることが大事だと思っているからです。時は流れてゆくごとに私のスタイルも少しずつ変わってゆくと思いますが、いつもその中に変わらないものを求めて描いています。







04/05/09
[11]ビギナーの眼
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趣味の世界などでは初めの頃(ビギナーの時)があり、何年もやっているとおのずとマニアの世界に入っていきます。そうすると初めの頃の気持ちを少しずつ忘れてゆき、初心のみずみずしさが褪せてくるように感じます。

熱帯魚の世界でも初めはどんな魚を見てもときめいていた心が、次第に珍しい魚、値段の高い魚へと興味が移り、初めの気持ちが薄れてゆきます。これは当然のことで、私もそうでした。決してマニアが悪いというわけではありません。マニアにはマニアのすばらしい世界がありますが、私は初めて熱帯魚を飼った時の気持ちを忘れたくないと思ったのです。

そんな時私は、新しく水草をレイアウトした水槽の中に入れる魚を迷っていました。一般的な平凡な魚は入れたくないと思い、いろいろ悩んだあげく魚を入れないまま何年か経っていました。魚の入ってない水槽の状態が1年以上長く続いたのですが、私の気持ちが少しずつ魚へのこだわりがなくなっていき、どんな魚でもいい、この水槽に魚を泳がせたいという気持ちに変わっていったのです。そうして買ってきた魚が、熱帯魚の代表というようなどこにでも売っているカージナルテトラでした。そのカージナルを水の中に放ったとたん、水が煌めいたのを感じました。魚が泳ぐことで水が生きる、水槽が一気に煌めき、生きているという実感がしたのです。感動でした。何年ぶりかの、いや、何十年ぶりかの感動です。初めて熱帯魚を飼った時のことを思い出しました。

絵の世界についても同じことが言えます。何十年も絵を見たり描いたりしているとマニアの目線になっていき、絵の説明や理屈が多くなります。したがってプロの方の話は私と同じマニアの目線になっているので、話す内容はだいたい察しがつきます。それよりも私は絵に関してはアマチュア(しろうと)の方の言葉の中にハッとするようなこと、なるほどと心に響くものを感じることがあります。絵には全然関心はなく、興味も持たない人、そんな絵から遠く離れた人の心を引き付けられるような絵が描けたらすばらしいと思いますが、それはとても難しいことですね。





04/04/03
[10]個性
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画家はオリジナリティーや個性というものを求められますが、はたして自分の個性は何だろうと考える時、自分は、自分はと、自我の束縛の中に入り込んでいき身動きがとれなくなってしまう時があります。私は個性は経験と選択だと思っています。

私たち人間は社会、コミュニティーの中で生きていてひとりではありません。たとえば自分しかわからないようなものを描いたとして、誰も理解できなければそれは何もないのと同じではないでしょうか。絵は理解してくれる人がいて初めて社会の中で現れてくるのだと思います。画家が花や風景などの簡単な売り絵は描きたくないと言うのをよく聞きますが、その絵の中にオリジナリティーがなければ人を引き付けることはできないような気がします。 絵の中に自分の個性が生まれた時、社会の中の同じ波長を持った人たちによって引き上げられ、それがまた波紋のように広がってゆき初めて売れるのではないかと思います。

自分の個性を引き出すのは自分ではなく、他の人によって引き出され、社会の中で生かされてこそ初めて光るのだと思います。私の個性(感性)はあなたの中にもあり、すべての人と人とはそうしてつながっているものだと思うのです。今とは違う新たな自分を見つけたい、新しい世界を見たい、それは大変難しいことですが今の自分にとって心地よいものの中からは生まれてはこないと思います。今の自分とは対極にあるもの、たとえば自分がいちばん苦手なものや嫌なことなどを勇気を出して取り組み、それが達成された時自我の鎖が切れて自己が解き放たれ、その時あなたにもわからなかったあなたの新しい個性が輝いているのではないかと思うのです。私にとっても新たな自分(個性)を見つけるのは憧れでもあり人生の目的でもあります。



 

玉神輝美のサイン