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■一枚の絵から ■肌色と3つの色 ■秋 ■なごり雪 ■小津映画 ■田中一村 ■水彩画 ■これから ■桜
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■アート ■絵のスタイル ■闇と光 ■生命と表現の原点 ■エネルギー ■現代アート ■個と全体 ■絵との出会い
■緊張感 ■マチエール ■最近のアート ■秋に想うこと


★アトリエからのメッセージ(5)★




04/12/06
[15]意志
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言葉や歌にはそれを現わす人の心、思いが含まれています。その人が発する言葉や音をひときわ高い荘厳へと導くものは、その深い戦慄に宿るメロディと真の心ではないでしょうか。そしてそれがしっかりとした意志による言葉として発せられた時、その言葉が言霊(ことだま)となって人の心の中に響くのだと思うのです。

絵に於いて色と色が響き合い、様々なグラデーションを作り上げる時、色彩が奏でる無限のメロディーが生まれ、その中に揺るぎない意志という光が加わり、絵にもまた魂が宿るのだと思います。そしてそれは偶然や無意識の中からできるものではなく、絵や音楽や言葉を発するということは、その中に宿る魂の響きを他へと伝えてゆくことではないでしょうか。

言葉には人を喜ばせる言葉もあり、人を傷つける言葉もあります。私を含めて人は生きていく上で病気や死、また今ある環境から逃れられない苦しみや、自分を飾る甘えや捕われから、抑え切れない衝動や言葉を他にぶつけてしまうことがあると思います。それを胸の中奥深くに沈め、乾いた大地に水がしみ入るように、いつの日か心の痛みを希望の光に変えてゆく智慧の種が芽生えることを私は信じたいのです。凍えるような寒さを知った者にこそ、本当の春の暖かさがわかるのだと思います。冬を越して咲く桜の花のように。






04/09/15
[14]空の青
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私たちが見ている色は、太陽から注がれる光によって初めて見えてきます。光はまた、あらゆる生物にとって生きるためになくてはならないものです。そして生物が生きる上で色と生命は密接な関係があるのです。

この地球の中でいちばん多い色は何色でしょう。それは私たちの頭上に広々と限りなく広がる空の青です。光には様々な波長があり、その波長をキャッチするセンサーのようなものが人間の脳にあり、それが眼から受けた光の信号をキャッチして色が見えてきます。

青の次に大きい波長が緑です。緑は植物の色で、私たちにはなくてはならない酸素を出しています。そして緑は地球上で2番目に多い色です。波長は青、緑、赤となり、赤に近付くにつれて波長はまっすぐに長くなっていきます。太陽が沈むにつれて赤くなるのはこのためです。この色の順番は私たち人間が生きるために必要な色の大きさを現していると私は考えています。

それでは赤は何でしょう。赤は刺激的なものや危険なものを現していて、様々な生物が繁殖期になると赤くなるのはこのためだと思います。血液や火が赤いのも眼を持つ生物に危険を知らせるためです。

このように自然の色にはすべて意味があり、言葉があるのです。突然空の青が異常気象によって赤に変わったならば私たち人間の脳の中のセンサーは狂い、健康には生きてはいけないでしょう。私たち人間の身体のセンサーは空の青をいちばん欲しているのです。色は眼があるものに音のない言葉を出しています。その色を使う私たち画家はその色の言葉で自分は何を言いたいのか、それをどういう人に訴えたいのか、絵を描いて生きるということ、絵を描くということを私ももう一度考えてみようと思います。





04/07/26
[13]環境と経験
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絵画や音楽や言葉は底辺の部分ですべてつながっています。クラシックの種によって生まれた印象派はボサノバなどをイメージさせます。印象派の種によって生まれたキュビズムは現代音楽などをイメージさせます。キュビズムの種によって生まれたポップアートはロックと自由を生みました。このポップアートとロックの種によって様々なスタイルの絵や音楽が生まれました。ニューペインティングは音にたとえるとフリージャズやノイズ・ミュージックのようなものです。これらはすべて生物の突然変異のようなものではなく、生まれるべくして生まれたのです。

人間の為せる技はすべて経験と環境によって生まれてきます。今日では私たちの生活の中に、ピカソやカンディンスキーの蒔いた種たちが開花して、現在ではデザインやファッションなど、ありとあらゆるところに溢れています。これも経験の為せる技です。アフリカのプリムティブな彫刻も日本の浮世絵もヨーロッパの宗教絵画も、すべてその環境や生活文化の最高のものとして生まれたのです。どれも比べることができず、それぞれが頂点なのです。

また近年ではジャンクアートやアウトサイダーアートと呼ばれるものもあります。その流れの中で作家たちは子供のような絵を描きたいと望みました。これは具象を描くことよりもある意味では何倍も難しいことでしょう。大人の感性によって子供のような絵を描くことのすばらしさを、子供の絵と混同してしまっていることが多々あります。経験も知識も少ない生まれて間もない子供の描く絵は、自然に近いもの、ゼロに近い状態にあります。その中から自然と同じ物が見えてきます。そのぎこちない線からは生命力を感じることもあり、ひとつの種が堅い土を突き破って芽生える力強さと同じです。それは生命の表現であり、生きているという存在感があります。そのような子供たちの絵は自然の為せる技によって生まれてくるのです。

今まで私たち人間は自然から様々な美を学んできました。そして過去の偉大なアーティスト達のおかげで枯れたもの、朽ち果てたものの中から侘び寂という美を見つけることを教えてもらい、錆びついた看板、風化してゆく建物の中からロマンを感じることができるようになりました。そのひとつひとつの感性の輝きを発見するのに様々な経験があったことを知ってほしいと思います。



 

玉神輝美のサイン