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■一枚の絵から ■肌色と3つの色 ■秋 ■なごり雪 ■小津映画 ■田中一村 ■水彩画 ■これから ■桜
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■アート ■絵のスタイル ■闇と光 ■生命と表現の原点 ■エネルギー ■現代アート ■個と全体 ■絵との出会い
■緊張感 ■マチエール ■最近のアート ■秋に想うこと


★アトリエからのメッセージ(9)★



05/12/25
[27]絵との出会い
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人にはそれぞれの思い出があり、心の中で眠っている風景があるものです。そして私の絵を見ていただいた時、それがふと甦ってきて、その人にしかわからない感動を覚えるのだと思います。

その方々の話を伺っていると、それらの絵から私が考えていなかったことを見てくださっていることを知った時、本当に嬉しい気持ちになります。そして改めてその絵を見ると、今までとは違った新しい美しさを私に見せてくれるのです。 絵との出会いも一期一会で、私はその絵を買って下さる方との出会いの案内役だと思います。

私の絵は光を意識して入れています。それは鋭い光もあり、全体を包み込むようなふわっとした光もあります。それらは実際の風景の中にあるようでもあり、ないようでもあります。見る人によって、その光のイメージは変わってくるものと思います。光は希望であったり夢であったり、それらは見る方の気持ちを和らげる光であってほしいと思って描いています。






05/11/20
[26]個と全体
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これから先科学が進んでゆき過去の人類のすべての歴史が解明された時、産業革命から現代までの地球を汚染しきった歴史は、人類の歴史の中でもっとも精神的に後退した時代であり、今のままではもっとも精神的にも生態系的にも豊かだったのは、縄文時代とか太古の人類であったということになるかもしれません。私たちは自然は当然のようにいつまでもあるものだと漠然と思い込み、それが少しずつ消滅していくさまを見ることもできず、気付かないのです。

ひとりひとりの個を豊かにするには、それをとりまく全体を見ることだと思います。細胞が個であれば全体は人間です。人間が個であれば家庭が全体です。社会が個であれば自然が全体です。すべての個は自然の中で生かされているのです。

アートにおいて全体とは、私はデッサン力と物を見る力と考えています。それは誰もが理解できるものということです。個とは個性のことです。社会に受け入れられるオリジナリティを出すには、個に全体を取り入れてゆくことから始まります。以前、テレビでジミ−大西さんがデッサンがダメだ、デッサン力を付けなければならない、としきりに言っていましたが、彼はデッサンをしてダビンチのように描こうとしているのではなく、自分の絵に自分しか描けない力を付けようとしているのです。デッサンとは個性にスパイスされる味なのです。

初めにあるものは個です。個の形も時代とともにずいぶん変わってきました。具象的なものから抽象的なものまで人さまざまです。それらのありとあらゆる方向に無差別に向いている個に光を与えてくれるのが、ものを見る力デッサン力なのです。 しかしこれらは決してものを正確に描くということがゴールではありません。デッサン力を付けるということは、個にプラスアルファ−の味付けができる能力を磨くということなのです。マチスやピカソなどもその力を磨いてきた人たちです。ピカソの個は完全なるデッサン力から成るものです。

子供の絵はのびのびとしていいものですが、それを他の人が見て感動して涙を流すことはないでしょう。親が自分の子供の絵を見て、親心から涙が出ることがあるとは思いますが、子供の絵は個のままで、ものを見る力全体がないのです。言い換えれば人の心を動かす意志の力が弱いのです。心を込めるということばがありますが、これは人間が行動する時の他の人に向けてのことばです。これがものが生まれてくる時、何かを産み出そうとする時の根本であり、すべてはここから始まるのだと思います。それを循環させてゆくことでプラスの波長を産み出し、その連鎖が自分の幸せにもつながると思うのです。ふとしたきっかけで出る愚痴や、八つ当たりなどのマイナスの連鎖を止められるのも、自分に循環されてきたプラスの連鎖によるものです。それらを高めるには、自分から積極的にプラス思考の意志を他に向かって出していくことではないでしょうか。





05/10/17
[25]現代アート
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現代アートは今の時代の最先端のアートで、思考的にも最先端のものと位置付けられ、自分の主観を表現するものとされています。また、コンセプトがもっとも重要とされ、そのため人と違うコンセプトを意識的に作りあげ、ディーラーやコレクターに狙いをさだめてピンポイントに売ってゆくという商法も取られます。

現代アートはわからないという話をよく聞きますが、個人個人の主観はその人にとっては何よりも大切なものでかけがえのないものです。主観的なことはお互い尊重し合わなければなりませんが、他と共有できるものではなく個人個人が楽しむことで、それによってできた作品は完全には他が理解できるものではありません。現代アートは理解しようとするのではなく、ひとつの考え方として受け止め、ひとりひとりの顔が違うようにその個人を楽しめばいいのではないかと思います。

これらの現代アートの始まりはやはりピカソからで、ピカソはアフリカの黒人の彫刻に影響を受け、それを自らの個の中に取り入れました。しかし、アフリカの黒人の彫刻は個人的なものではなく全体的なもので、自然に向かって心を開くものですが、ピカソはその外観だけを意識的に自分のものとしたのです。アフリカの彫刻はサインのようなもので、単純な方が他に伝わり易く、外観よりも大事なのはその中に含まれている意識なのです。

過去の絵画は思考的に現代のものより劣っていると思われていますが、私はその逆のような気がします。今現在でもあるネイティブアメリカンや、失われた文明などの中に見るものは、現代人が忘れてしまったスピリチュアルなものです。昔のものは劣っているという考え方の間違いは、科学による産業革命からだと思います。19世紀末、科学というものが目覚め始めた時代、人間はその頃の未成熟な科学が示すものがすべてだと思い込み、科学とスピリチュアルなものとを分けてしまったことからそれは始まりました。しかし科学とスピリチュアルは密接なものであるということが、21世紀になって少しずつ解ってきたのです。

現代アートは成熟されていない科学がもたらした産業革命の産物のような気がします。原始美術と名付けた黒人彫刻や過去の文明が示す意識と、現代アートの示す意識と意識の向上としての脳の働きと、それらが示す答えは今考えられているものとはまったく逆ではないでしょうか。

主観の根源は脳の扁挑体に様々なものが好き嫌いに分けて蓄積されています。その中には愛や美意識なども入ります。以前テレビで爬虫類脳として取りあげていました。動物の行動の中心は主観がおこなっています。主観を中心とした脳の働きは、哺乳類よりももっと後退した爬虫類に近付いてゆくことなのです。しかし私は今の個人の主観を表現とする現代アートも好きで、楽しく見ているということも最後に付け加えておきたいと思います。





 

玉神輝美のサイン