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2002年、『楽しい熱帯魚』6月号(白夜書房刊)に“玉神輝美のアトリエ訪問”と題して掲載された記事を、そのまま載せました。この記事を読んでいただくと、おおまかですが私の熱帯魚の経歴がわかると思います。

<絵を描いている父親の姿を見て育った少年時代>

生まれは愛媛県の宇和島市。父親が映画館の看板の絵描きを生業としていたことから、子供の頃から父親が絵を描いている姿を見て育ってきた。当然のように子供の頃から絵を描くことは得意。小学校の時から、常に絵を描くことなら学校内でも1番。県内の絵画コンクールに出展しては、数々の賞をもらっていた。
「熱帯魚との関わりは小学生の頃からあったんですよ。近所の友達が熱帯魚を飼っていたんですけど、その友達は小学生の時からたくさんの熱帯魚を飼っている、近所では有名な子だったんです。水槽を10本も20本も持っているような子で、それは親がやっていたのではなく、本当にその子の趣味だったんです。」

小学生の時からその友達の飼っている熱帯魚に興味を持ち、ちょこちょこ遊びに行っていたが、見ることだけに我慢できなくなって中学生になると同時に、自分でも熱帯魚を飼うようになる。
「60cm水槽を親に買ってもらって、そこから始まったんですけど、はじめの頃は誰でもそうだと思いますが、夢中になりすぎて熱帯魚の本を肌身離さず寝る時も枕元に置いて寝ていたほどです。熱帯魚仲間も4人ほどいたんですが、親に試験勉強だとウソを言っては、みんなで集まっては熱帯魚の本ばかり見ていました。」
始めたばかりの中学生時代は最も熱帯魚に熱中した時期でもあり、60cm水槽を4本所有してカラシン、シクリッド、コリドラスをはじめとする一般的な魚を飼っていた。

もちろん高校生になっても熱帯魚は依然飼い続けていたのだが、その頃になると熱帯魚よりもロックに熱中していくようになった。
「高校生の時は、金魚のランチュウ水槽が2本と熱帯魚水槽が2本。熱帯魚はメチニスとか、ちょっと大きめのカラシンを飼っていました。ただ高校の時も熱帯魚は飼っていたけれど、何となく飼っていただけでそれほど熱中はしていませんでした。高校の時にいちばん熱中したのはロックで、それ以外だと絵。その頃になると卒業後はいちおう絵の学校に進もうと考えていたから、美術部に入り石膏デッサンばかりやっていました。高校時代は本当にロックと絵を描く日々だったんですよ。」

高校を卒業すると同時に、生まれ育った宇和島市を出て上京。絵を描くための専門学校へ入学した。

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水槽はインテリアと同時に仕事の道具
アトリエには、現在9本の水槽を設置。これはインテリアと同時に仕事の道具にもなっている。「まだまだ細かいところなんか、わからない魚がたくさんいるんですよ。初めて描く魚を実際に飼ってれば、観察しながら描くことができるそれに描くこともそうですけど、マニアの人と話をしたりして、実際の知識がないと、たいしたことないと思われるのがイヤなんです(笑)」

ライブロック水槽
4年前に始めた海水魚水槽。「自分は、わりと資料を先に読んで、知識を蓄積してから物事を始める方なんです。それで海水だったらライブロックをやりたかった。ライブロックが、どういうものか知りたかったんです。ライブロックの面白さは、岩から出てくる海藻なんです。緑とか赤い海藻が形を変えて出てくrんです。もう7〜8種類の海藻が出てきたんですけど、4年経った今でも新しいのが出てくるんですよ。今だに飽きることなく変化を楽しめるんです。」

同種類のカメ4匹!
30歳の時から飼い始めたカメ。すでに10年以上飼い続けている。「最初に1匹飼ったら、気に入っちゃって同じカメが4匹になりました。ハ虫類全般に言えるころなんですけど、飼育するには絶対に自然光が当たるところがいいです。たとえガラス越しでも、紫外線の当たるところ・・・自然の光が当たることでリラックスするんです」



玉神輝美のサイン